礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.5.3 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㊳「心騒ぐほどの、主の悲しみ」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 13章21~30節】(新共同訳 新約P.195)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 73篇21~24節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生229番「十字架のもとは」
主の祈り
献金感謝
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」
聖書 ヨハネによる福音書 13章21~30節
宣教 ヨハネ福音書講解㊳「心騒ぐほどの、主の悲しみ」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生623番「時は満ちて」
頌栄 新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- ここはヨハネ福音書における「最後の晩餐」の箇所とされます。他福音書で既に主イエスの体と血の犠牲を象徴するパンと杯の意味が語られたので、ヨハネは弟子の裏切りと主の深い悲しみに焦点を絞ったのです。過越の食事の前、主は弟子の達の足を洗い、師である主がなされたように互いの埃にまみれて汚れた足--罪人である私たちが互いに罪・汚れと過ち--を水で洗い流すことを勧めました。しかしこの幸いな交わりに残念ながら入ることが出来ない弟子がいると告げられたのです(ヨハ13:17-18)。それを預言した「『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉(詩編41:10)は実現しなければならない」を紹介し、父なる神を受け入れる者は主ご自身を受け入れるのと同じだと宣言されました(13:20)。この直後、主を裏切るユダが信じなかった問題点を指摘され、この福音の真理が理解されない苦悩を主は告白されたのです。弟子のユダがどうして主を裏切ったのかを他の福音書と照らし合わせると、ユダを含め当時の人々が求めていたのはイエスがローマ帝国を内倒し新しいユダヤ民族国家を樹立する革命家を求めたことにあります。しかし主イエスが打ち立てようとされた国とは父なる神の御心が地上で行われる「神の国」でした。
ですから主は「はっきり言っておく(アーメン・アーメン)。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と、弟子達に“心を騒がせ、断言し”語られたのです。これは主が“霊の激動を感じ”“霊において奮い立たされた”と直訳され、自らが担う十字架の苦難への恐れと、愛する弟子の中に主を裏切る者がいる苦悩が‟心”以上に‟魂”さえ揺るがす悲痛であったことが分かります。
ペトロは主のただ事ならない苦悩する姿を見、裏切る者を特定するため主の横にいた“イエスの愛しておられた者(著者ヨハネ)”に探るよう合図しました。そして主はパン切れを浸して与える者だと告げ、イスカリオテのシモンの子ユダに与えたのです。最後の晩餐とされるこの食卓での詳細をヨハネは(初代教会で主の晩餐が既に執り行われていたので)省略します。けれども主が与えたそのパンをユダが食さなかったこと、つまりユダに立ち帰る最後のチャンスを主が与えられたのにそれを逃した事実を記すのです。主はそこで「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と促すと、サタンに支配されたユダは直ぐに出て行き主を売り渡す計画を実行しました。
この箇所は何度読んでも心騒ぎ胸痛みます。主イエスが私たちの罪のため、十字架において神の子羊として犠牲の捧げものとして屠られることに大いなる神の計画があると分かりつつ、それが主の弟子の裏切りによって実現されていく皮肉さと空しさ、「わが内なるユダ」の姿を私の内にも見る痛み…。この時、主イエスはユダを責めることも裁くこともされませんでした。そこには主の深い愛と信仰を見出します。
ユダの裏切りを予見した詩編41篇冒頭では「いかに幸いな事でしょう。弱い者に思いやりのある人。災いのふりかかるとき、主はその人を逃れさせてくださいます」と徹底した父なる神への信頼が告白されます。ここにも悪意ある人の思いや行動によりこの世界が支配され続けることなく、最終的に神の御心が実現する徹底した神への信頼が告白されるのです。ヨセフが兄たちに裏切られエジプトへ奴隷として売られ苦悩しますが、神の不思議なる導きで国を越え、民らを救う宰相とされこう告白しました。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださった(創世記50:19-20)」と。正に主イエスも徹底した父なる神への信頼が、十字架の苦難の先に備えられた復活の御業が現わされることを信じ、歩まれたのです。
心騒ぎ、魂が揺さぶられる悲しみが襲う時、その先には神が「万事が益となるように共に働かれる」(ロマ8:28)と信じ歩む信仰共同体がこの教会にも形成されることを感謝し、祈ります。